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こんばんは、くろっきーです。

 

認知科学勉強12日目となります。

少し間が空いてしまったので、簡単におさらいしつつ新しいワードについて解説をしていきたいと思います。

現在は、

わからない→考える→わかる

の流れの中の、「考える」部分にフォーカスして見ています。

そして、その「考える」をさらに拡大して見ていくと、

注意→記号→知覚→心像(「記憶心像」と「知覚心像」)

という構造が見えてきます。

 

前回は「心像」についての定義を説明しました。

心に現れる視覚的イメージや、視覚以外の四感で感じ取ったもの全てを「心像」と言うのでした。

今回は、その「心像」の中でもさらに2種類に分けて、それらの役割について解説していきます。

例えば、僕たちが一枚ペラの紙に、とある英単語が書かれているのを視界に捉えたとします。

そこには「pharmacist」と書かれていました。

このとき、pharmacistという単語の意味が既にわかっている人には「薬剤師」と書かれていることがわかります。

逆に、その単語の意味を全く知らなかった人にとっては、pとhとaと・・・sとtで構成されている文字列(形)であることしかわかりません。

このとき、pharmacistが薬剤師であると知っている人と知らない人との差はなんなのか?というと、「pharmacist=薬剤師」の”記憶”が作られているか否か、という差があります。

このpharmacist=薬剤師という記憶は、実際に目の前にpharmacistという単語がない場合でも心の中に思い浮かべることができますよね?

このような、”外の世界で何かが起きていなくても心に現わすことができる心像”のことを「記憶心像」と呼びます。

また、紙の上に「pharmacist」という文字列があったからこそ、pharmacistという”形”が心の中に現れるように、”外の世界で起こっていることがリアルタイムで意識化されて見えている心像”を「知覚心像」と呼びます。

基本的な役割として、
「知覚心像」は”形”を心の中に映し出し、
「記憶心像」はその形に意味を与えます。

僕たちがさまざまなことを「わかる」ことができるのは、僕たちが「知覚心像」として映し出した心像に対して、「記憶心像」からの意味づけが行われているからなのです。

「記憶心像」の照合が上手くいかないと、僕たちは「わからない」と感じてしまうようです。

例えば、とある脳損傷を引き起こした患者は、この照合が上手くいかなかったと報告されています。

目の前に「卍」という地図記号を出されても、それを「神社」であるとわからないのです。

卍マークを写生することはできたため、知覚心像は正常に機能していますが、何度やってもそのマークが神社であるとはわかることができなかったようです。

僕たちは過去の「記憶心像」の膨大な蓄積があるからこそ、目の前の現象と照合させ「わかる」ことができています。

記憶心像の蓄積を意図的に増やしていくことが「勉強」なのかもしれません。

明日に続きます。

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