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こんばんは、くろっきーです。

 

認知科学勉強13日目となります。

昨日は、「記号」と「記憶心像」と「知覚心像」の関係について見て行きました。

pharmacistという記号を目にした時に、過去に「pharmacistとは薬剤師である」という記憶心像を持っていたからこそ、その時点でpharmacistが薬剤師であると「わかる」のでした。
(記憶心像と知覚心像の照合が上手くいった、ということです。)

今日は、「記号」の役割についてもう少し深く見て行きます。
(画像が手書きノートの写真で見づらくて申し訳ないです)

まず記号ってなんなのか?というと、「ただの形」のことです。

「pharmacist」も「卍」も「〒」も「目標達成力養成講座」もこの文章も、ただの文字の羅列です。

アラビア語で「شكرا لك」と書かれても、アラビア語を知らない人たちには「ただの記号」にしか見えないわけです。

「記号」は本来は一種の約束事です。

アラビア語では「ありがとう」を「شكرا لك」と書きましょう、という約束事がなされているだけで、アラビア語を母国語としている人たちの共通認識になっているだけなのです。

このように、本来、この文字列(記号)自体には意味は付いていません。

記号が行なっているのは、「記憶心像を呼び起こすこと」です。

「今年の3月17日に行われたあの講座」というフワフワしている記憶心像に、「目標達成力養成講座」という記号が付いているからこそ、「目標達成力養成講座」と見ただけでその記憶心像を呼び起こすことができます。

このように記号には、なんとも掴み難い記憶心像を呼び起こすためのきっかけとなる役割があるのです。

僕たちがさまざまなことに「名前を付ける」ことは、記憶心像を呼び起こしやすくする効果があります。

みなさんが、僕に「くろっきー」という記号をつけていただいているからこそ、みなさんの中の「僕」という存在をボンヤリと呼び起こすことができるのです。

人への名前でも、概念への名前でも、「これは後で呼び起こしたい!」と思えるものには名前をつけておくと思い出しやすくなりますね。

明日も報告します。

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