こんばんは、くろっきーです。
今日も、なぜ単語学習が継続できているのかを考えてみます。
4つ目までは、実際に取り組むときの工夫だったり、目標の性質についてなどの「直接的な要因」が続いていましたが、今日からの3つは周りの環境についての「間接的な要因」となります。
(個人的には、これまでの4つよりも今日からの3つの要素の方が、物事を無理なく続ける上で重要だと思っています)
5つ目として考えられるのが、「”単語学習以上の面白さ”が撤廃されているか否か」の違いです。
昨日は、「断続的な面白さ」が日々の学習にあれば毎日楽しく続けられるだろう、という仮説を立てましたが、この仮説が正しく機能するためには、条件が1つあると考えています。
それが、「その”断続的な面白さ”以上の面白さが、日常に(ほぼ)存在しないこと」です。
昨日TwitterやYoutubeを例にあげましたが、その他にもこの世には”面白い”が蔓延っています。
SNS、動画サイト、ゲーム、マンガ、飲み会、旅行etc…
人は、楽しいこと、気持ち良いことがあれば、それを何度も繰り返そうとしてしまいます。
中でも、刺激が強いものは尚更で、刺激が一番強いものを人生で最も優先させる性質があると思っています。
(極端なことを言えば、「覚せい剤」や「危険ドラッグ」がいい例ですよね)
なので、もし単語学習を挫折せずに続けたいのであれば、生活全体を通じて「単語学習が生活の中で一番強い刺激である」という環境を作った方が確実だし、理にかなっているように思えるのです。
僕が1年前に単語学習に取り組む上で心理的抵抗が強かったのは、「他にやりたいことがあり、それがやりたいから」という本音があったからだと今となっては思います。
Twitterは見たいし、Youtubeは見たいし、ゲームもやりたいし、マンガも読みたい。友達との飲み会や旅行も楽しみ…
謂わば、「面白さへの依存症」みたいなものだったのです。
そこから1年以上もかかってしまいましたが、今日までずっと意識してきたのが、そういった強い刺激物を生活から撤廃することでした。
まだ完全撤廃とまでは行っていませんが、少しずつ、本当に少しずつ悪い習慣を抜いていって、ようやく単語学習が一番楽しみになるくらいの刺激が少ない日常を構成することができました。
1年前と比べると、日々の学習へのフォーカスの度合いが桁違いです。学習中の頭もスッキリして集中力が出ますし、脱線もしづらくなりました。
この状況を意図的に作っていく価値は高いと思いますので、是非何か達成したい目標があれば刺激の強い習慣は少しずつ減らして行くことをオススメします。
明日も報告します。